高齢者が最も住みにくい「舞根地区」について
慶應義塾大学の学生さん(金森貴洋さん 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修士2年)の、気仙沼市内における集団移転団地についての調査データが素晴らしいです。
これまで、慶應(特にSFC)に対しては良い印象はまったくありませんでした。
他大学の学生さんと比較して、「院生ですら文章が書けない」、「領収証を知らない」、「物を片づけない」、「担当教員は学生の面倒(責任)はみない」という印象でした。
SFCは日本の大学の中でも自殺率がかなり高く、また離職率も極めて高い理由が良く分かります。
しかし、ごく希に優秀な学生さんもおります。
金森さんの研究は、高齢者が徒歩で生活するうえで、どこの集団移転団地(気仙沼市内)が将来的に問題を抱え得るかを評価したものになります。近い将来、免許返納や今までの住民同士の助け合いが困難になることが予想されるため、高齢者が徒歩で移動できる団地はどれだけあるのだろうかという視点からの研究になります。
具体的には、各団地から最寄りの生活施設(食料品店や医療施設)までの、距離や勾配、高齢者の身体機能などを考慮して、歩行移動にかかるエネルギー消費量からアクセス性を評価したものになります。
その結果、全ての生活施設に対して徒歩での移動が困難と思われる団地が96団地中15団地あり、最寄りの公共交通へアクセスするのが困難な団地では、約6割が該当する可能性があることが明らかになりました。
そして、気仙沼市内の高台移転地の中で最も住みにくい高台(集落)は、森は海の恋人事務局がある「気仙沼市唐桑町の舞根地区」であることが判明しました。
調査データからは側面からしか物事を捉えられませんので、この結果が全てではありませんが実情に沿うものだと思います。
金森さんは舞根地区の住民の集まりの際にその話をしてくれたのですが、住民からは調査データについて否定的な意見ばかりでした。私は称賛に価するとしか思えません。
自分が住んでいる集落に対し、「住みにくい」というマイナスイメージのデータを突き付けられたら皆そう思うのかもしれません。舞根地区では、他地域からの移住者を受け入れようと努めています。良い印象のみを与えるよう促していいるとも言えます。視点を変えると「住みにくい集落へ他者を引き込もうとしている」と言わざるを得ません。
(特に田舎に住む人は「否定されること」に免疫が少ない。否定されるととりあえず何かしらの反論をする、または、受け流して素通りするという2パターンの行動に出るのは興味深いと思います。)
「舞根地区は住みにくい」
それは事実です。住んでいるからこそ断言できます。
私が「舞根地区は住みにくい」と考える主たる理由は以下の3点。
①コミュニティーが濃すぎる。(小さいので仕方がないのですが)
②三陸沿岸部における古典的な自治会組織の形態が、高台に集落ごと移転した後も継続している(長老的存在が一人居り、自治会役員がその下に数人いる。そしてその他の住民(サイレントマジョリティー)がいる、という三角形。集落の意思決定はほぼ100%長老の意向に沿うように進むことになるが、体裁上のみ集落内の住民に意見を聞く場を設ける。)
③商店や病院、公共機関までの距離が遠く、車の運転(特に冬場)ができなるなったら下手をすると死活問題。
公共交通機関は無く、市が運営するバス(へき地患者輸送車)が日に1往復のみ。
金森さんは気仙沼の全ての高台移転地(災害公営住宅も合わせると96か所)に行って調査し、得られたデータを懇切丁寧に報告してくれました。
それだけでも素晴らしいと思います。
しかし、住民はそれを否定しようとする。まるで自分の身を守ろうとするかのように。
私は、そういうデータ(事実)だからこそ受け入れるべきだと思うのです。
また、防災集団移転促進事業(高台移転)に参加してみて、若年層は高台移転に参加するべきではない、と私は思います。(不労所得等がある場合は例外となります)
地方都市(気仙沼市)の平均所得金額を考えると、借金してまで家を持つのはリスクが高すぎる。しかも、高台移転の場合は田舎に住んでいるのに団地生活というギャップ。さらに、家屋が密集する団地に薪ストーブ等の都会的発想を持ち込んで暮らし始める人も少なくない。
現実的には、今後の日本経済とか地方都市とか結婚とか子供とか考えると、負債は避けて困ることはないのだと思う。田舎で生活するならボロでも安い借家が現実的です。若い人ほど負債(家や車等)を抱えない様暮らすべき。そんなもの気にならないほどの所得があるなら話は別です。また、そのような所得を目指している、または都会的生き方をするということであれば別なのかもしれません。
事実を受け入れる心の器と、苦くても咀嚼して反芻する勇気と努力、合理的に動く年齢制限有りの自治会組織づくりが必要だと感じています。
同時に、良い面だけを告げる「まちづくり」とか「田舎暮らし」という発想を止める勇気も必要だと思います。
畠山信
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