先日、「
中央環境審議会」の委員の方々がお越しになり、少しばかり気仙沼をご案内しました。
吹雪の中ではありましたが。。。
気仙沼の大島には環境省管理の建屋等がありますが、宮城県は環境省の建物をもどかす勢いで防潮堤をつくるのだろうか??
そんなのありえない話なのですが、日本の環境行政の力は非常に弱いので「もしかして」と思ってしまいます。
いろいろな場面で生物多様性を謳う日本。でも防潮堤をつくるときは生物多様性は配慮しない。
宮城県の小野寺五典衆議院議員(自民党)も、そう公言していた。
中央環境審議会委員の方々に、防潮堤に関する現状と宮城県の姿勢、図面等の資料を準備してできるだけご説明差し上げました。
反応は驚きと冷ややかさが混じったものだった。
「わかっちゃいるけど泥船には乗りたくない」という感じだろうか。
これが環境を考える日本の中枢なのか。。。と、激しくがっかりでした。
委員の一人くらいは何かしらの動きをしてくれることを期待しましょう。
何もしない(できない)のであれば、不要な組織ということですな。
昨日は代々木のオリンピックセンターにて開催された「ESDの10年・世界の祭典」にパネラーとして参加しました。
日本が
「持続発展教育(ESD)の10年」を提案し、国連が採択したもの・・といってもよくわかりませんな。。。
ピンとくる人はごく少数でしょう。実は8年前から日本で行われています。
気仙沼市は特に力を入れていますが、そのほとんどが学校の中での出来事に終わっているのが現状です。
「つながり教育」とも言われており、ESDとして行っている民間の団体が非常に少ない理由は、たぶん行政臭いからというのと、今さらESDという訳のわからん言葉に置き換えることが嫌だから、だと思います。
「森は海の恋人」の活動の中でも、ESDという言葉は使用しません。
分かりにくく、行政臭が強いので。
さてさて、そんな集まりではありますが、巨大防潮堤建設問題も含めてお話しさせて頂きました。
今回、私が担当したのは「生物多様性とESD」。各テーマごとに分かれてのワークショップを実施しました。
巨大防潮堤建設問題については知らない方が多いのが現状だと思います。
と、いうことで、少々詳しくお話しさせて頂きました。
総括会合で、各テーマごとに出されたキーワードをもとにディスカッションという流れでございました。
「生物多様性とESD」チームとしては、「日本のESDとしては、巨大防潮堤建設問題を見過ごすのはいかがなものか。反対運動をする立ち位置にはないが、知ることと伝えることは必要なのではないか」と提起されました。
とても素晴らしいことだな、と思ったところで、文部科学省から来ていた国際交渉分析官の岩本渉氏から意見が出ました。
「人も生物多様性の一部。人の生活を含めた生物多様性を考えたい。」
つまり、日本のESDとして巨大防潮堤建設問題を取り上げることは避けたい、ということなのでしょう。
あまりに情けなかったので、挙手し、「この日本のESDは、政治力に屈しないと私は信じています。そのうえで、自然の繋がりや生物多様性を謳う日本として、日本のESDとして巨大防潮堤建設問題を取り上げて下さることを要望します」と発言しました。
壇上の委員の方々、司会をしていた立教大の阿部先生からもコメントは一切なかったけども。。。
まぁ、仕方がない。そういう生き物なのでしょう。
今後、日本のESDとして、日本の沿岸部を巨大なコンクリートの壁と化していく防潮堤問題をはたして取り上げるのでしょうか?
中央環境審議会、
ESDとも、今後の動きが気になります。
見えにくい形では動くのかもしれません。
そして「やるだけやった」という感じだけを残すのでしょうなぁ。
見える形ではっきりと動かなければ意味がないのに。
日本のESDや中央環境審議会はカタチだけの飾りに過ぎないのでしょうか。
とりあえず、今後の動きに期待だけはしておこうかな。
アメリカの某大手メディアさんから取材依頼の電話がありました。
「日本の巨大防潮堤建設問題はアメリカでも報道され、興味を持ったアメリカ人が多く、特に気仙沼市民の動きを注視している」とのことでした。
要約すると、
『アメリカ人から見ると、日本は明らかな土建国家であり、日本人は巨大な防潮堤が大好きな人種だと認識している人が多い。その日本人が、巨大な防潮堤に反対していることに違和感を感じる。アメリカはハリケーン(カトリーナ)で多大な被害を受け、まちづくりを進めるうえで防潮堤の建設が検討されている。防潮堤に反対する日本人の意見を聞き、アメリカのまちづくりに活かしたい。巨大防潮堤建設問題に関する気仙沼市民の動きが、今後、各国の自然災害から復興するためのモデルとなる可能性が強いからだ』
語弊があるかもしれませんが、ざっくりこんな感じでした。
日本は確かに土建国家。談合で育った国であることは間違いないと思う。
気仙沼市民の一人として、被災した一人の漁民としても、税金を無駄に使ってまで巨大なコンクリートの防潮堤はいらないと強く思う。
防潮堤を造るべきところはある。でも、いらない場所もある。住民の意向を満足に聞くこと無く、一律で巨大防潮堤を造ってしまうのは見過ごすことができない。
しかも、被災沿岸部だけでなく、日本の沿岸部全域が対象であることは特に許せない。
明日、気仙沼市民有志によって結成された「防潮堤を勉強する会発起人会」として、宮城県知事に対して巨大防潮堤に対する要望書を提出することになった。
誰のための行政なのかが問われる瞬間でもある。
世界も注目している。
日本人として、凛とした生き様を残したい。
畠山信