2011年06月09日
なべさん日記
前回『支援されることに疲れている』と書いたことについて、引き続き考えたこと+補足で・・・
支援に対して感謝されてないとか、善意をわかってもらえない、という意味では書いたのではなく・・・
予期せぬ被災で、突然に自宅や仕事、肉親や知人友人を失う。
そして、その日から急に、見ず知らずの『支援者』という、他者からの援助無しには、生命の維持すら危うい状況になる。
自ら何とかしようにも、どうにもならない被災状況。なんとかしたいのに、支援に頼らざるを得ない日々。それが、2ヶ月、3ヶ月と続いたら。
さらには、家も仕事も生活も、取り戻すのにこの先何年かかるのか、まったくわからない。
おそらく、支援への感謝と同時に、より大きなこととして、『自尊心』を持ち自分を支え続けることの難しさがあるように思う。
そんな疲れの蓄積と同時に、仮設住宅というプライベート空間を得る人が出てきて、物流も回復してきたことで、街の人たちの雰囲気が変化してきたのでは。
「支援します!」という人たちを容易に受け入れ頼るのでなく、必要なものは自分で選び、買う。
支援者の「喜ばせたい!」というイベントではなく、慣れ親しんだ肉親、友人知人と静かに過ごす。そんな雰囲気。
自分も含め支援者なんて呼ばれかねない人は、だから気をつけないと。
支援をするなら、簡単に「感謝されるのが嬉しい」「喜ぶ笑顔が見たいから」なんて思わないように。
物資を直接渡す『支援者』は、「私が届けました。渡せて嬉しいです!」なんて雰囲気を感じさせない、渡し方を考えないと。
遠くから物資を送る『支援者』は、「私の想いが伝わりますように!」といって、自分の思い入れで中身を決めないように。自分の心情や立場は別にし、本当に現地で今、何が必要か、できる限り調べ、考え、相手の立場を想像する。
間違っても、感謝のされることを自分で想像し、それを喜びや動機にしないこと。
そんなことをつらつら考える。
もうひとつ些細なこと。
勝手な個人的な思い込みで、今実践していること。
ビジュアル的にも「私、支援者です!」と感じさせないこと。つまり服装。
前回の滞在まで、ここは被災地なんだから・・・と意識した服装でした。つまり、汚れてもOK!的な服装。
でも前回このブログを書いて以降、普段、神奈川で暮らしている服装と同じにしようと、あわてて一関のユニクロで洋服購入。
街中の瓦礫や壊れた建物、変わり果てた街の姿と同じように、一見して『支援のためにここに来てます!』という服装の人間も、目で見て、震災、被災者という事実を実感させられるのではないか。
(もちろん、瓦礫撤去をはじめ、そういった大変な作業に携わっている人たちの作業着は、別です)
これまで、多少なりともあった『外から来た、実際被災しているわけでない立場の自分』という、自分なりの気遣い。でもそれを、被災地向け?の服装や、地元の人を喜ばせる、ということでは解決できない。
そんなことを、考え途中・・・
支援に対して感謝されてないとか、善意をわかってもらえない、という意味では書いたのではなく・・・
予期せぬ被災で、突然に自宅や仕事、肉親や知人友人を失う。
そして、その日から急に、見ず知らずの『支援者』という、他者からの援助無しには、生命の維持すら危うい状況になる。
自ら何とかしようにも、どうにもならない被災状況。なんとかしたいのに、支援に頼らざるを得ない日々。それが、2ヶ月、3ヶ月と続いたら。
さらには、家も仕事も生活も、取り戻すのにこの先何年かかるのか、まったくわからない。
おそらく、支援への感謝と同時に、より大きなこととして、『自尊心』を持ち自分を支え続けることの難しさがあるように思う。
そんな疲れの蓄積と同時に、仮設住宅というプライベート空間を得る人が出てきて、物流も回復してきたことで、街の人たちの雰囲気が変化してきたのでは。
「支援します!」という人たちを容易に受け入れ頼るのでなく、必要なものは自分で選び、買う。
支援者の「喜ばせたい!」というイベントではなく、慣れ親しんだ肉親、友人知人と静かに過ごす。そんな雰囲気。
自分も含め支援者なんて呼ばれかねない人は、だから気をつけないと。
支援をするなら、簡単に「感謝されるのが嬉しい」「喜ぶ笑顔が見たいから」なんて思わないように。
物資を直接渡す『支援者』は、「私が届けました。渡せて嬉しいです!」なんて雰囲気を感じさせない、渡し方を考えないと。
遠くから物資を送る『支援者』は、「私の想いが伝わりますように!」といって、自分の思い入れで中身を決めないように。自分の心情や立場は別にし、本当に現地で今、何が必要か、できる限り調べ、考え、相手の立場を想像する。
間違っても、感謝のされることを自分で想像し、それを喜びや動機にしないこと。
そんなことをつらつら考える。
もうひとつ些細なこと。
勝手な個人的な思い込みで、今実践していること。
ビジュアル的にも「私、支援者です!」と感じさせないこと。つまり服装。
前回の滞在まで、ここは被災地なんだから・・・と意識した服装でした。つまり、汚れてもOK!的な服装。
でも前回このブログを書いて以降、普段、神奈川で暮らしている服装と同じにしようと、あわてて一関のユニクロで洋服購入。
街中の瓦礫や壊れた建物、変わり果てた街の姿と同じように、一見して『支援のためにここに来てます!』という服装の人間も、目で見て、震災、被災者という事実を実感させられるのではないか。
(もちろん、瓦礫撤去をはじめ、そういった大変な作業に携わっている人たちの作業着は、別です)
これまで、多少なりともあった『外から来た、実際被災しているわけでない立場の自分』という、自分なりの気遣い。でもそれを、被災地向け?の服装や、地元の人を喜ばせる、ということでは解決できない。
そんなことを、考え途中・・・
Posted by 森は海の恋人事務局ブログ at
22:06
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