2015年03月12日
4年が経過
昨日は4回目の祖母の命日。
早いもので、もう4年が過ぎたのですね。
当時の慌ただしさは、形は変われど今もなお続いており、所謂「復興」までの道のりは遥か遠くに感じられます。
急がずじっくりやるべきこと、急がなければならないこと、手順を一手ミスしただけで崩壊することなどなど、綱渡りにもほとほと疲れ果てました。
しかしながら、相変わらず心折れていられない状況でもあり、「もうひと踏ん張り」を繰り返しております。
ずっと、励まされてばかりです。
いつも気になる新聞記事とお手紙をくれる祖母のような方にも、ちゃんと手紙書かなければ。。。
さてさて、当時の様子を少々ご紹介。
地震直後の海の様子。(気仙沼市唐桑町西舞根地区)
ちなみに、この風景は今はありません。
津波第1波(唐桑半島と大島の間にある灯台)。
寒かったのなんの。。。
一晩明けて、いろいろ流された中から、重篤の書きかけ原稿発見。ちょっと嬉しい。
何とか生きて舞根に帰ったものの、実家が被災を免れたのみ。
そのほか何も無し。(気仙沼市唐桑町西舞根地区。2011年3月14日撮影。)
ホタテ全滅。
水は沢から汲み、ランタンで灯りをとり、薪ストーブで煮炊きをする。
主食はジャガイモ。
NPO/NGO等 (支援団体)との連携始まる。
発災直後、頂いた登山靴はとてもありがたかった。(ガレキの上を歩けたので)
ダウンジャケットの暖かさも実感。
自然環境調査始まる。
地盤沈下で放棄耕作地が干潟化し、アサリ等が発生する。
なんとなく、涙が出ますなぁ。。
さもない出来事ですら、最近は「生きてて良かった」と感じている自分に気づきました。
気付くまで4年掛かりました。。。
この慌ただしさはいつまで続くのだろうか。
そう思うのが常ではありますが、心折れずに前のめりに生きようと思います。
これからのフェーズは「繋がり」が胆になります。
是非、繋がって頂ければ幸いです。
畠山信
早いもので、もう4年が過ぎたのですね。
当時の慌ただしさは、形は変われど今もなお続いており、所謂「復興」までの道のりは遥か遠くに感じられます。
急がずじっくりやるべきこと、急がなければならないこと、手順を一手ミスしただけで崩壊することなどなど、綱渡りにもほとほと疲れ果てました。
しかしながら、相変わらず心折れていられない状況でもあり、「もうひと踏ん張り」を繰り返しております。
ずっと、励まされてばかりです。
いつも気になる新聞記事とお手紙をくれる祖母のような方にも、ちゃんと手紙書かなければ。。。
さてさて、当時の様子を少々ご紹介。
地震直後の海の様子。(気仙沼市唐桑町西舞根地区)
ちなみに、この風景は今はありません。
津波第1波(唐桑半島と大島の間にある灯台)。
寒かったのなんの。。。
一晩明けて、いろいろ流された中から、重篤の書きかけ原稿発見。ちょっと嬉しい。
何とか生きて舞根に帰ったものの、実家が被災を免れたのみ。
そのほか何も無し。(気仙沼市唐桑町西舞根地区。2011年3月14日撮影。)
ホタテ全滅。
水は沢から汲み、ランタンで灯りをとり、薪ストーブで煮炊きをする。
主食はジャガイモ。
NPO/NGO等 (支援団体)との連携始まる。
発災直後、頂いた登山靴はとてもありがたかった。(ガレキの上を歩けたので)
ダウンジャケットの暖かさも実感。
自然環境調査始まる。
地盤沈下で放棄耕作地が干潟化し、アサリ等が発生する。
なんとなく、涙が出ますなぁ。。
さもない出来事ですら、最近は「生きてて良かった」と感じている自分に気づきました。
気付くまで4年掛かりました。。。
この慌ただしさはいつまで続くのだろうか。
そう思うのが常ではありますが、心折れずに前のめりに生きようと思います。
これからのフェーズは「繋がり」が胆になります。
是非、繋がって頂ければ幸いです。
畠山信
Posted by 森は海の恋人事務局ブログ at 10:08│Comments(0)
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